緊張性気胸で入院手術!体験記録と過去の自然気胸歴について

気胸手術後とチェスト・ドレーン・バック(胸腔排液用装置)

今回は気胸及び緊張性気胸という病気の実体験に基づいて記事にします。
つい先日緊張性気胸となったので鮮明な記憶のまま記録に残し、そして過去の自然気胸歴を含めて気胸について語りたいと思います。

過去4回の自然気胸歴

軽度気胸~緊張性気胸まで計4回全て体験しました。
一時的だったり短時間の胸の痛みなどは除く。

■1回目「2010年6月頃」中等度気胸

疾患部位:左肺

当時22歳。午後胸の痛みに気付く。
保育士として園庭を走り回っていた午前。だが午後13時頃に胸の痛みを感じる。
何とか翌日も出社するもまだ胸の痛みがとれず、しゃべるのも辛くなり、早退して「沼津市立病院」へ行くことになった。
気胸と診断され即日入院しチェスト・ドレーン・バック(胸腔排液用装置)を胸に通して肺が膨らんだところで退院。
記憶は曖昧だが計5日程度の入院となった。

■2回目「2011年8月頃」高度気胸

疾患部位:左肺

当時23歳。約一年後に再発。
友人と白浜大浜海水浴場で海水浴を楽しんでいた際に気胸が再発し、今度は胸の苦しさだけではなく肩や背中までにも強烈な痛みを伴う。
1時間以上の時間をかけて救急車で運ばれた病院が「順天堂大学医学部附属静岡病院」でした。

研修医と呼吸器外科の無知な医者だったのか緊張性気胸に近い高度気胸なのにベッドで仰向けにされ、胸に穴を開けて施術。
しかもその施術(管通し)に3回失敗し、4回目に医療器具が整った部屋でようやく施術が成功。
不安を感じ病院を変えたいと言ったが希望が通らず。
ここで手術はしたくないと思い、またしてもチェスト・ドレーン・バック(胸腔排液用装置)を使用し肺が膨らんだところで退院。
この時も計5日程度の入院でした。

■3回目「2012年12月頃」軽度気胸

疾患部位:左肺

当時25歳。誕生日が9月なので年齢記載ミスではないですよ。
軽度気胸と自己判断し1週間安静にして過ごす。
それで何とか運よく回復したが、今思えば危険なことをしていた。
詳細はこの記事「肺の痛み(肺気胸)で自宅で5日間の絶対安静」をご覧ください。

■4回目「2014年10月2日」緊張性気胸

疾患部位:右肺(初)

今回。詳しいことは順を追って下記で記載・説明いたします。

はる蔵の身体的・生活スタイルの特徴

  • 身長:167cm程度
  • 体重:50kg程度
  • 喫煙:喫煙者(1日20本程度)

俺の身長は低いがいわゆる細見体形ということで典型的な気胸体形と言われます。
気胸は通称イケメン病と言われ高身長で細見体形の比較的若い男性がなりやすいそうです。

目次

ここまでかなり前置きが長くなってしまったが、次は今回経験した緊張性気胸の出来事を話したいと思います。

  1. 朝起き上がった瞬間から様子がおかしかった
  2. 救急車編!おい察してくれよ空気の読めない救急隊の方…
  3. 医者の違いを体感!やっぱり沼津市立病院で正解だった
  4. 実は右肺にも気胸爆弾を抱えていた状態だった
  5. 気胸手術の大まかな流れと術後について
  6. 痛みは分かるけど動こう!手術後の筋力低下を防げ
  7. 退院後
  8. 退院後の通院(レントゲン・抜糸)
  9. 手術の傷跡よりもその周りが痛い
  10. あとがき・雑記・余談

朝起き上がった瞬間から様子がおかしかった

仕事で朝5時半に起床。勢いよく起き上った瞬間肺の痛みに気付く。
一瞬激痛で固まってしまったくらいだ。
今冷静になって考えてみると寝ている最中に気胸になっていたのでしょう。

痛みと息苦しさで姿勢よく立てることなく前傾姿勢で母を起こしにいく。
ジェスチャーで肺が痛いことを説明。
声すらまともに発することができないはる蔵の代わりに母が職場の代表者に連絡。

あまりのひどさに気胸だけではなく肺炎かもなんて思っていた。
と言うのも1週間くらいずっと風邪気味で咳と痰がひどかったのだ。
結果から言えば緊張性気胸だけで肺炎ではなかったのが幸いでしたね。

そんなこんなで声が出ないため手書き文字で母へ指示。
「苦しい・109番(間違い)に電話して」など…。

今だから笑える話だがパニック状態で救急車の番号を間違えて書いていた俺。
母もパニック状態だったので俺の間違え番号にかけて時間をロスすることになったのだ(笑)

救急車編!おい察してくれよ空気の読めない救急隊の方…

朝寝起きから早々の大パニックとなり、何とか救急車が到着。
しかし出発までが長い。救急隊の人が出発前に事情などを聞いてくる。

こっちは声すらまともに発せない状態なんだからこれ以上聞くなと睨みつけた。
しかし空気も読めず色々と聞いてくるもんだから超ふんばって「察してくれよ」と発した。

その時の俺はブルブル震えるように痙攣していて、尚且つ顔色が青紫と言うかドス黒く異常レベルだったそうだ。
おまけに前かがみで腰が曲がった老人のような体勢でした。

とにかく不必要なやりとりを数分行いやっとの思いで出発。
母にあらかじめ、もしもまた今度気胸になったら「順天堂ではなく沼津市立病院にしてくれ」とお願いしてあったので、俺の気持ちを代弁してもらい沼津市立病院へ救急搬送された。

救急搬送中、血圧を測ったのだが測定不能と言われておりました。まじビビりましたね。緊張性気胸は低血圧となりショック状態になるのが主な特徴ですからね。
それに一つの肺しか機能していないこともあり血中酸素濃度が相当ひどかったみたいです。しかしあまりの苦しさに酸素マスクを外そうとしたら無理やりマスクを押さえつけられました。
その瞬間マジでこれはやばいな(死が近い)と悟りましたね。

医者の違いを体感!やっぱり沼津市立病院で正解だった

病院に搬送後すぐに胸のレントゲンを撮影。専門の担当医は今かけつけてくれていると説明されました。
担当医がかけつけるとすぐあばら骨付近に小指サイズの穴を開けていつものチェスト・ドレーン・バック(胸腔排液用装置)を使用し応急処置。

そういえば順天堂の時には無理やりベッドに寝かされて施術されたっけ。
でもやっぱり沼津市立病院は「緊張性気胸の場合寝かせないで施術しなければならない」と医者がナースや研修医などにしっかり説明していた。
その時の心境は「さすが先生!よくこちらの気持ちが分かってらっしゃる」って感じでしたね。

しかもドレーンを入れるのがテクニシャン。順天堂の時には失神するレベルで痛かったが、沼津市立病院では「え?これで終わり?」みたいなレベルで施術が終わった。
無論4回で成功ではなく1回ぽっきりで成功。

同じ医者でもこれだけの知識と技術の差があるんだってことを実感させられましたね。
医者に体を預けるというか託すのだからやっぱり医者なら何でも良いじゃ怖いです。

実は右肺にも気胸爆弾を抱えていた状態だった

過去の気胸経験でCT(コンピュータ断層撮影)結果から右肺の方が気胸になってもおかしくない状態と言われていたのだ。
しかし毎度気胸になるのは左肺ばかりだった。

そして今回ついに恐れていた右肺の大きな爆弾が爆発した感じ。
緊張性気胸だけでも十分死の危険な状態なのにもし左右同時に来ていたら確実に死んでました…。

と言うことでこんなリスクを減らすためにも3日後に手術をすることになった。

気胸手術の大まかな流れと術後について

本来ならば肺が膨らんだ状態でCTを撮り手術をした方が良いのだが、はる蔵は以前のCT記録が残っていた。
なのでその問題のある患部をある程度予測・特定できたらしいので、肺が萎んだ状態で手術をすることになった。

※以下で紹介する流れは、はる蔵の場合のケースです。病院や医師の違いによって対応・判断・施術など異なる部分もあるかと思いますので参考程度にご覧ください。

■担当医と打ち合わせ

手術についてのお話合いをします。
十分な説明を受けた後同意書などの書類を書きます。

説明を受けた時に両方(左右)の肺の手術は可能か聞いてみたところ、推奨できないと言われました。
ネットで調べてみたらリスクが特別にないような言い回しで、可能と書かれているところもありますしケースバイケースでしょう。

■前日にシャワーを浴びれる

全身麻酔を使う手術をする場合は尿道にカテーテルという管を入れる。
なので念入りに性器を清潔にしておいてくださいという意味などもあってシャワーを浴びることができました。
今まで入院中にシャワーを浴びることはなかったので凄く嬉しかった。

洗面器で冷たい水で毎日頭は洗ってましたからね(笑)
毎回看護師さんに「そんな体勢で痛くないの?」と聞かれますが洗えない方が辛いよね。

■手術前日はおとなしくしててと言われた

医師に「横山さんは動きすぎだからせめて今夜はおとなしくしてなさい」と言われた。
雨の中勝手に外に出たりしていたので、カゼをひかないようにという意味だと自己解釈した。

■手術前日には睡眠剤と下剤を出された

毎日快便なので下剤はいりませんと言い結局飲んだのは睡眠剤だけ。
しかし効果は大したことはなかった。逆に意識しすぎてあまり寝れなかった(笑)

■前日の夜22時から飲食禁止

口をゆすぐ程度なら良いと言ってましたが、喉は乾くし、腹は減るし地味にきつかった。

■手術当日台風の影響で15時予定だった手術が10時に早まった

これは心の準備と言いたいところだが心の準備は万全だった。早まるのが何がいけないかと言うと尿道に管を入れている時間が延びるからだ。
予定では手術2時間程度で17時に終わり、ちょっと我慢して翌日まで点滴で眠る予定だった。
そして起きて肺のレントゲンに異常がなければ抜けると聞いていたから15時の手術の方が都合が良かったのだ。

■喉の一部を切って痰の吸引器具をつけると宣告された

医者の前で痰をからむ咳をしていたら「横山さんは肺が萎んでいた時間も長く、手術前までタバコを吸っていたので、おそらく痰が多いと予測できるので、喉の一部を切って吸引器具を使用します」と言われた。
そこではる蔵は「先生が痰は出した方が良いと言っていらっしゃったので積極的に出していただけです。そもそもおそらくで切ると言われても…しかし分かりました」みたいなことを言った。
注意されながらもタバコを吸いに行っていたので自業自得だと思い承諾したわけです。

結果から言うと痰が少なかったようで切らずに済みました。マジで手術前は特にタバコは控えた方が良いのですね。

■男性の大事な部分を大人の状態にしておく

手術で男性の大事な部分を人に晒すことになるので、とりあえず見栄剥きして大人の状態にしておきました(笑)

真性と呼ばれる全く剥けないのは分かりませんが、仮性でもカテーテルを入れることは可能です。
情報によるとカントンなどの場合にはうっ血防止のため術後に皮を戻してくれるらしいです。

■手術前

パンツ一丁になってから手術着を着用。
手術室に入る前にどんな病気で手術をするのか・氏名・生年月日などを聞いてくるのでそれに答える。

■手術台へ

手術台で仰向けになる。少し鼓動が早くなってくる。

■全身麻酔で意識ぶっとばそう

入室早々仰向けになったらマスクをあてられ、なんかどんどん意識が遠のいていく気分になった。
意外と気持ちよいというか眠くなってきたぁー感じ。
最後に発したのが「おぉーすげー」って言ってその場を笑わせたことだけは覚えている。
その後は意識がぶっとんでいたので知りません。

■手術開始

内視鏡(胸腔鏡手術)を開始。
脇下とあばら骨付近とその背面の3つに3センチ程度切開して行われた。
意識がぶっとんでいたためこれ以上話すことはない。

■意識は曖昧だけど気付いたらベッドだった

手術後にはもう起こされていたそうですが、記憶があるのはベッドに到着してから。
母親曰く手術室から出てくる時には既に受け答えしていたそうです。

■手術後に気になったのは痛みよりも尿道に入れた管

これも曖昧なんですがずっと管を抜いてくれと連呼していたそうです。
終いにはおむつにしてくれとお願いしていたそうです。

手術よりも俺は尿道に入れるカテーテルの方がこわかったので意識的に拒否っていたんでしょうね。
記憶がはっきりしてからも覚えているのは患部の痛みよりも尿道の違和感です。

■数時間したら慣れた尿道の違和感

点滴の影響か眠気があったので数時間寝ていたところ違和感がそこまで気になることはなくなった。
それでも違和感ありすぎてつい男性の大事な部分がどうなってるのかつい確認しちゃいましたけど(笑)
手術した患部は気になることもせず一切見やしなかったのにね。

慣れたとは言え管を取ってもらうまでもう最低最悪な気分だった。

■手術の結果を聞く

手術前にできるだけ右肺のもろい部分(ブラと呼ばれる肺嚢胞)を手術(切除)してしてくれるという話だったが、手術後に聞かされたのは「あまりに肺のもろい部分が多すぎて、それを施術してしまうと肺がなくなってしまうので、今回は漏れた部分のみを施術した」と言われました。
つまり手術をしたけれども今後も油断はできないということですね…。

左肺も2度気胸になってるしマジでおっかない。
ある意味常に死のリスクを抱えて生きているみたいな心境です…。

■手術から4時間後に水分補給OK

看護師さんに吸いのみで飲ませてもらいました。
我慢していた水分補給…とっても幸せな気分でした。

■手術後の翌朝に肺が膨らんでいれば管とおさらば

翌日はる蔵は看護師さんに連れられレントゲン室に車いすで向かった。肺と尿道に管が入っているからだ。
このレントゲンで肺がしっかり膨らんでいれば手術成功+管とはおさらば。
ドキドキしながら結果を待つと成功。

まず最初に局部麻酔を打ち肋骨付近に入った管を抜き、その部分を縫う。ここまでは医者がやってくれる。
次に女性看護師さんと2人きりになり、尿道の管を抜く。

■尿道に入ったカテーテルを抜くのは二度と経験したくない

これはもう表現し辛いのですがカテーテルを抜く時ゾクゾクします。ついお尻が上へのけ反った。
痛みというより気持ち悪さは史上最強レベル。抜く時の感覚はドゥルドゥルピョーンって感じ。
勢いよくやってくれて助かりました。こんなの時間かけて抜かれたらたまったもんじゃない。

■カテーテルを抜いた後の排尿に注意

まだまだカテーテルの試練は続く。排尿時に痛みが生じるのだ。
尿を出そうとしても怖さを感じる。それでも勇気をもって出す。
これは痛い。そして枝分かれのように尿が出る…。それに残尿感みたいなのも感じる。

そんなこんなで排尿を3回程度したところで痛みには慣れました。
1時間に1回はトイレに行っていたのでつまり3時間程度で慣れたという感じです。

看護師さん曰く人によっては何日も痛がることもあるらしいです。

■酸素チューブも外れた

はる蔵は血中酸素が少なくずっと酸素チューブを鼻から吸っていたのですが、これが外れました。
ずっと耳や鼻下の固定位置にチューブがあったので地味に痛みがあった。
これが取れたのもストレス解消となりました。

■管という管を抜いてから一日後に問題なければ退院

管という管を取りいわゆる通常状態にしてから肺の問題や熱(体調面)に問題なければ退院可能。
はる蔵は手術後の管が外れてから洗面所で髪を洗っていたり、自立して歩き回っていたのでその点も退院許可が早めにおりた理由だそうです。

こんな感じで手術の流れと術後~退院までの流れでございました。

痛みは分かるけど動こう!手術後の筋力低下を防げ

気胸での入院経験は3度。毎回同じ病気の人に出会うがみんな動きが足りない。
トイレに行くのもナースコールなど…。
自身の体験からその痛みは分かるが筋力低下で退院後に辛い思いをすると思う。

はる蔵は手術前から動き回っていたが手術後は起き上るのもやっとでした。こんな少ない期間で腕や腹筋など相当筋力の低下を実感。

手術前からほとんど動いてない男子高校生がいたのですが、その男の子は手術後自力で起き上ることは出来なかったことでしょう。
チェスト・ドレーン・バックの時点で医者から少しでも動くようにと言われても「痛くて動けません」と言っていたくらいですからね。

違う病気のおじいさんは手術前はしっかり歩いていたのに、手術後(はる蔵と同じ日に手術)に立てなくなってしまった。
若者であっても想像以上の筋力低下になりますので、甘く考えず無理なく動くことをオススメします。

退院後

痛み止めは朝・昼・晩の14日間分出されたのですが、退院日の夜に1錠だけ飲んだきり。結果的に無駄な薬となってしまいました。

正直言って痛みがなかったわけではないのですが、すぐに仕事の復帰を考えていたので、痛み慣れをしようみたいなバカな発想からそういう行動に至りました(笑)

念願のシャワー(傷口は洗わない)も退院日に入りましたが、少し怖かった。多少無理した感はありましたが、今思えばサッパリして気分が良い方が正解と言う感じ。
何よりも傷口を拭くのが勇気がいる。はる蔵はティッシュでポンポン優しく押しあてて拭きました。

退院後何日も慣れなったのは起床後の起き上りに大苦戦と寝る時の体勢。
1週間くらいは真っ直ぐ身体を伸ばして寝ておりましたね。おかげで腰も痛かった。
そして自然と傷を意識していたのか身体が傾き姿勢は微妙だった。

仕事(保育士)の復帰は「入院してから11日後・手術を終えてから8日後・退院してから6日後」です。
一か月間は激しい運動と重い物は持っていけないとのことだったのですが、2歳児の担任として抱っこは欠かせない…。

医者には仕事は許可できないと一度は言われたが、その医者よりもさらに目上の医者がOKを出してくれたので何とか仕事に復帰することができた。
但し、2歳児以上の抱っこと走り回るのは禁止という制限・条件。

最初はかなり体がきつくて何日か無理して頑張りましたが、痛み・体力面ともに少しづつ慣れてきた。仕事復帰から9日くらいでしょうか。

退院後の通院(レントゲン・抜糸)

退院から1週間後に抜糸のために通院。抜糸はレントゲンを撮って空気漏れがないことを確認したら行います。
特に何も問題もなかったので抜糸を行ってもらえました。

抜糸をする際の痛みはほとんどない。痛痒い程度です。

手術の傷跡よりもその周辺が痛い

手術の傷跡も多少は痛みはあるのですが、それ以上に違和感を感じたのは傷跡に離れた部分(周辺)です。
なんか皮膚が腫れてると言うか、つっぱってると言うか、洋服がこすれる度に何となくわずかな痛みを感じる。

手術から20日経った今現在でもその違和感は消えない。抜糸で通院した時にそのことを医者に相談してみたのですが、時間が経てば良くなると言っていましたが未だに少しも改善していない。
今思えば時間が経てばってどのくらいやねん(笑)

気になったので調べてみましたが手術後約2ヶ月くらいで皮膚のムズムズ感はなくなったという情報を発見しました。

追記:はる蔵の場合はおよそ3ヶ月程度で違和感が気にならなくなっていきました。

あとがき・雑記・余談

とっても文章量が多くなってますが、これでもかなり端折って書いたので分からないことあったらコメントくださいね。
お答えできる範囲内でこたえたいと思います。

スポンサード リンク


2014年10月26日 | コメント/トラックバック(9)|

カテゴリー:その他/未分類

タグ

トラックバック&コメント

トラックバック

コメント

  1. 加藤千晶です より:

    読んだ。
    なんてこったい。笑って話せる内容じゃない。兎にも角にも命があってよかった。自分の身は自分が一番よくわかってるから、本当に無理をしないように。
    2歳児たちの動きがわかるだけに、心配になる。
    親より先に逝ってはなりませぬからね、忘れないように。

    私は来月から0歳児クラスに行くことになったよ。また、保育談義をしよう!では、お大事に!!

    • haruzou より:

      加藤ちゃん!ご心配おかけしました。
      とりあえず後悔しないように精一杯生きるのみです。親よりは長生きしてみせます(笑)

      0歳児クラスに移動することになったのね。もちろん保育談義しましょ!
      ってかまだまだ未熟者なのでいろいろ教えてね。

  2. ワンワン より:

    初めまして(^-^)/自分も気胸経験者です。

  3. 匿名 より:

    はじめまして。
    先週、気胸の手術をして今日、抜糸してきました。
    もう来なくていいと言われたのですが、調べてみると退院してから何回か通院してる方もいるみたいで。
    はるぞうさんは抜糸のあとも通院ありましたか?

    • haruzou より:

      気胸の手術大変でしたね。
      僕の場合は抜糸の後の通院はありませんでしたが、抜糸後に通院する方もいるんですね。
      もしかしたらまだ肺のふくらみが完全ではない人は何度か通院させるのかもしれませんね。それかその病院・医師にもよるのかもしれません。
      心配でしたらすぐ病院に行ってみてくださいね!お大事に!

      • 匿名 より:

        お返事ありがとうございます。
        まだ痛みもあるのに「もう来なくていいです。何かあったら近くの病院にでも行ってください」と言われ、こんなにあっさりしてるんだとすこし不安で。
        通院して術後の経過とか見てくれると思っていたので…。
        術後の傷の上に貼っていたテープで水ぶくれやみみず腫れもできたのですが、それも「皮膚科に行ってください」の一言で。
        傷の痛みなのか体の中からの痛みだかわかりませんが、抜糸後より痛みがひどくなってます。
        痛みはいつ頃おさまってくるのでしょうか?(>_<)

        • haruzou より:

          記事の記録によると術後の痛みは退院から15日くらいで慣れはじめたようです。
          しかし皮膚が張っているような違和感だけはなかなか改善されず、約3ヶ月後くらいから皮膚の違和感が気にならないようになってきました。
          個人差があるのでなんとも言えないのですが、早く良くなるといいですね!

          • 匿名 より:

            病院でいろいろ聞けなかった分、こちらでお答えいただいて少し安心しました。
            抜糸と同時に防水テープもはがされてしまったのですが、傷にシャワーはしみましたか?怖くて昨日はラップを貼ってシャワーしたのですが…

          • haruzou より:

            少しでも安心していただけたのであれば嬉しいです!
            曖昧な記憶なんですが、退院1日~2日間くらいはシャワーを傷口(抜糸していない)に直接あてないように、首から患部へ流す感じでやりました。
            衛生面も気になっていたため3日目くらいから泡立った石鹸を手の平で優しく洗ったと記憶しております。
            ですので抜糸をした時にはもう普通に気にすることなく洗っていました。シャワーは全然しみなかったですよ!


このページの先頭へ